わたしはにちようがっこうで、ゆうきというおはなしをきいて、わたしもかみさまから
ゆうきがほしいなぁとおもいました。
ゆうきをつかうときはいろいろあって、おもちゃをかしてあげるゆうき、ひとりでおつかいにいくときのゆうき、がっこうでまちがっているかなぁとおもっても、てをあげるとき
すこしゆうきがいります。
わたしは水がながれてるすべりだいがこわくて、すべれないけど、ゆうきをだしてすべれるようになりたいです。すごいことにちょうせんするときもいっぱいゆうきがいるけど、わたしはおねいちゃんとけんかしたとき、ごめんねっていうのが、いちばんゆうきがいります。
だからごめんねっていえるように、かみさまからたくさんゆうきがほしいとおもいました。
私は小学2年生の1月に、初めて罪の赦しを体験しました。
私には2つ下の妹がいます。おっとりした性格で行動も遅く、何かと世話をやいてよく面倒をみていました。
私が2年生になった頃からその妹がすごく憎らしいと思うようになり毎日ケンカばかり。でも幼稚園の妹は「お祈りしたからもうすっとした」と言って、いつもすぐに「ねーねごめんね」と謝ってくるのです。でも私は謝れないし、そんな妹が腹立たしく、さらに心の中がいらだって祈れない、その繰り返しでした。
あらゆる面で妹ははるかに劣っていて、できないことばかりなのに、一番大事な神様のこと、心の事では、妹ができて私はできない、この妹に勝てないことに、どうしようも憎しみとねたみを覚えるようになりました。
それ以後のケンカは本当にひどいものでした。普段からの憎しみが爆発して、妹を思いきりたたいたり、ほっぺたをつねったり、血が出るほどひっかいてしまうのです。心ではダメだとわかっていても、怒りが収まらず、力まかせに妹を傷つけてしまうような、私の心は憎しみとねたみで真っ暗でした。
そんな状態の私にも、神様はいつも「謝りなさい、祈りなさい」と心に語ってくださいました。でも憎しみが覆う私はどうしても祈ることができませんでした。家族は天国に行くのに、自分だけ地獄に行くことが一番怖かったのをよく覚えています。
2年の1月、いつものようにケンカが始まりました。泣かした妹ではなく、自分が泣いていました。「苦しい、もうダメだ」と思いました。一年近くも妹をねたみ、憎み、真っ黒に汚れた心に覆われ、ひどい自分を責め、私の心はもう限界でした。
その夜、やっとお母さんにすべてを打ち明け、そして「ごめんなさい」と祈ることができました。教会に行って牧師先生に導いていただき、これまで押し込んでいた思いが次々と言葉になって、ありのままの自分をお祈りしました。
終わって目を開けた瞬間、私の心が透きとおるような真っ白なのを感じ、あの重く苦しい暗闇が取り除かれたことを実感して、喜びがあふれました。もう苦しまなくていいんだ、これ以上妹を傷つけなくてすむんだと、本当にうれしかったことをはっきりと覚えています。
私のこんなに汚れた罪のために、イエス様が十字架にかかり私の身代わりに裁かれてくださったことを、心から信じて感謝しました。
小学校1年生の頃、私は小児ぜんそくの発作で息ができなくなりました。
すぐに病院に運ばれ、両手両足に点滴、口元には酸素マスク、さらに酸素テントまで着けられました。
あまりの苦しさに酸素マスクを外してほしいと訴えたことも覚えています。
看護師さんは私の周りを慌ただしく走り回り、後から聞いた話では両親には「今夜が山場です」と告げられていたそうです。
私はその頃日曜学校に通っていましたので、朦朧とする意識の中「イエス様…!」とただそれだけを祈りました。
もう苦しくて苦しくて、それ以上の言葉は何も出てきませんでした。しかし、その後意識が戻ると、あの苦しさは全くなくなり、平穏な朝を迎えていました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい(使徒の働き3:6)」
私の両親は5年間の別居の末、私が小6の時に離婚しました。別居中は、父が帰って来るか、来ないかと不安な時を過ごしていたので良い子でいようとし、大人の顔色を見るようになりました。また、私が冷たくしたから、父は私を嫌って家を出て行くのだと心の内で自分を責め続けました。このことから、本当の自分を人に知られると嫌われてしまう、という恐れが常にあり心を開いて人と接することができなくなり、中学生時代はほとんど学校に行けませんでした。
教会へは、小1の頃から母に連れられ通っていましたので、見えない神様はおられるという事を素直に信じていました。
高2の夏に親友の「ダイエットをしている」という言葉がきっかけで、拒食症になり、どんどん痩せていきました。体重が29キロとなり、骸骨のような私を、家族や周りの人達がとても心配し、色々と声をかけてもらっても、それを余計なお世話としかとれませんでした。家では、イライラして、気が狂ったようになり、自分の尖ったような心が家族を傷つけていると解っていても、どうする事もできずにいました。飢餓状態だった私は、次に過食症になり、隠れて物を食べる罪悪感、食べ過ぎて後悔したかと思ったら、また食べ…、このような自分に、もう未来はないと絶望を感じていました。
私は何故生きているのだろうか…、人生は苦しいことばかりだし、この世に生まれてこなければよかったと思いました。夜に家を飛び出し、星空を見ながら、神様は私を見てくださっているのですか?見ているなら助けてくださいと、毎日泣きながら神様に祈るようになりました。
20才になった年のクリスマス特別集会で神様の愛について語られました。今まで何度も聞いていた、イエス様は全ての人の罪のため、十字架にかかり甦みがえって下さったということが、この時、初めて自分のためだということがわかりました。その日、悔い改めに導かれ、イエス様を信じる決心をしました。すると、その日から、拒食と過食を繰り返していた私は存在しないかのように、普通に皆と一緒に楽しんで食事ができるようになりました。「神様に愛されている私」だということを実感し、心の傷も徐々に癒され、人生を神様と共に歩めていることに感謝しています。
長女が小学校に入学、息子も幼稚園に入園した頃に、主人が会社の女性と付き合っていることが分かり、今までの幸せな生活がガラガラと音を立てて崩れていくようでした。親・兄弟に相談しても事態は何も良くならず、それどころか主人との関係はどんどん悪くなり、主人は家を出て行ってしまいました。
専業主婦であった私は子供二人をかかえ、生活の不安と孤独から悩み苦しみました。その時、義兄がくださった聖書を思い出し、ここに解決の道があるのではないかと思い、読み始めましたが、ひとりではよく分からずにいました。丁度その頃、尼崎教会の方が我が家に伝道に来られ、わらをも掴む思いで誘われるまま、教会へ行くようになりました。
聖書の学びを続ける中で聖書のことばから、今まで主人が一方的に悪いと思っていましたが、夫婦の事は私にも責任がある事、自己中心で身勝手だった事など教えられました。悔い改めへと導かれ、牧師先生を通して私の罪のためにイエス様が十字架にかかってくださった事、イエス様を信じる者を神様は赦し、聖霊を与えてくださると教えていただき、単純に信じることが出来ました。大きな喪失感と自分の存在意義が分からず、傷ついた私の心を神様は癒し、永遠に変わる事のない愛で愛してくださっている事を実感させてくださいました。
それからもうすぐ30年になろうとしていますが、神様は常に真実に私の家庭を守り、恵みを豊かに与えてくださっています。
私は母が教会に行くようになって以来、母に連れられ小学校低学年から教会学校へ通っていました。高校生になった頃より教会を離れ、それから20年後に仕事で外国へ出張した際に腎臓結石の症状が出て激痛のため不安と恐れでいっぱいで神様に祈りました。この時の祈りが不思議にもことごとく応えられた事から、教会の礼拝に通うようになりました。
それから8年後、急性心筋梗塞の発作に見舞われましたが、かかりつけの医師より風邪かも知れないと薬をもらい自宅で休養していました。痛みが治まり1週間後、職場で年に一度の定期健診を受診し、心筋梗塞を起こしていることが分かり、緊急入院しました。
担当医より「あと二日遅かったら死んでいたかも知れない」と言われ、強いショックを覚え、自分の中にまだ解決されていない罪の問題がある事を強く意識しながら、神様がもう一度チャンスをくださるだろうかと考えていました。
手術も無事に終わり、回復も順調で退院の話を進めて行く中で医師より「心臓の一部はもう動かない。もう普通の身体ではない」と聞かされ、大変落ち込みました。そんな私に神様は聖書の御言葉から「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかってのぼることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」と約束を与えてくださいました。
退院し3ヶ月後の検査で医師が不思議がるほど回復している事がわかり、神様の約束通りになっている事を確信し、改めて深い感謝を覚えました。
それ以来教会に通いながら、罪の問題についてどうしたらよいのか分からずにいましたが、聖書の学びの中で、ずっと願っていた心からの悔い改めが出来た事を本当に嬉しく神様に感謝しています。
妻がクリスチャンである私の姉の勧めで教会へ通うようになった年のクリスマス礼拝に私も初めて出席し、それから続いて教会の集会へ出席し始めました。
それまではこの宇宙が偶然に出来たと教えられていても、地球や月、太陽などの天体が秩序をもって存在することを知れば知る程、偶然ではないのではないかと疑問に感じていました。しかし、聖書の学びをする中でこの天も地も創造主なる神様が造られたと教えられた時、それまでの疑問が解消し腑に落ちました。
また、動物も植物も、単純な種類から次第に複雑な種類に進化したと教えられていましたが、動物も植物も移行段階の中間形は一つも存在しないということから、「全知全能の神が種類にしたがって造った」という聖書のことばの正しさを納得することができました。
このようにして私の信仰生活は創造主なる神様がおられると信じることから始まりました。
私は妻が教会へ行くようになって以来、子どもたちを教会学校へ連れて行き、一緒に参加していました。子どもたちが中学に上がるまで続き、その後は妻を教会へ送り迎えするだけで、行事がある時に参加する程度でした。
そんな状態が30年以上も続いておりましたが、昨年の父の日・母の日合同特別礼拝、感謝会に出席し、アンケートに「聖書について学んでみたい」というところに印をつけた事から、息子と一緒の学びが始まりました。
学び始めた当初は田舎に住んでいた当時から染み付いた古来の宗教に関する習慣があり、考え方もそのようなところがありました。けれども、その信仰があったわけでもなく、田舎の習俗を積極的に行う思いもありませんでした。学びをするうちに不思議と聖書の神様を信じる思いに変わっていきました。学びの中で語られる罪についても素直に認め、イエス様の十字架だけが唯一の解決だと信じるに至りました。
自分は聖書の知識もなく、殆ど読めてもいません。お祈りもうまくできません。「そうであっても大丈夫。何より大事なのは、イエス様への信仰です。」と、先生方に言って頂き、洗礼を受ける決心をしました。感謝しつつ、ありのままの姿から、一つ一つ学びながら歩ませていただきたいと願っています。
キリスト兄弟団尼崎教会
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牧師:瀬戸 偉作(主任牧師)、瀬戸 臨